ライカがなぜ別格なのか。2分でふんわりわかるライカの話。
カメラをよく知らない人でも「ライカ」という名前は聞いたことあるとは思います。
丸くて赤いマークがついたなんか知らないけどめちゃくちゃ高いカメラ。
最近ではパナソニックからも出てますよね。あとは「ちびまる子ちゃん」に登場するたまちゃんのお父さんが持っているカメラでも有名ですね。確かM4だったかな?
カメラの王様、いやカメラの帝王? とりあえずカメラとしては別格の存在であるライカは、カメラを趣味にしている人にとって憧れのカメラ。避けては通れない存在であったりします。
ライカがなぜこんなにもてはやされるのか、掻い摘んで超ざっくりに私の考えなども盛り込んで説明しようかと思います。
時は1900年代初頭、カメラはフィルムサイズが大きい大・中判カメラが主流で、デカくて手に余る重たいことがカメラにとって当たり前でした。
そんな中、ライカは「ライカ判」と呼ばれるフィルムサイズ規格を採用したレンジファインダーカメラ「バルナックライカ」という、今だかつてない小さいカメラをリリースします(オスカー・バルナックさんが作ったカメラだからバルナックライカ)。
カメラは小さいことが当たり前になりました。バルナックライカはその礎となったカメラ。
ちなみに、「ライカ判」は35mmフィルムサイズで、今でいえばフルサイズカメラのセンサーと同じサイズだったりするんですね(厳密なサイズはメーカーなどによって違いますが大きな規格としては同じ)。今なお続くカメラの“祖”はライカであるといっても過言ではないでしょう。
バルナックライカを頂点に世界中で35mmフィルムカメラが開発・販売されました。バイクでおなじみのドカティもカメラを作っていたりしたんですよ。35mmのハーフ判でしたが。
もちろん日本も例外ではなく、今では世界にその名を轟かせているキヤノンやニコン(当時は日本光学工業)もバルナックライカを目指してカメラを作っていました。
キヤノンはライカ、ニコンはライカに勝るとも劣らないメーカー・コンタックスのカメラに似たカメラを作っていました。
世界中がライカという頂を目指して追いつき追い抜こうとカメラを作ってたそんな中、ついにライカはあるカメラをリリースして世界中のカメラメーカーの度肝を抜き、そして絶望のどん底に叩き落とすのです。
このブログの最初に掲載した写真がそのカメラになります。
それまでのバルナックライカとは全く異なるデザインに見たこともない大きくて見やすくて明るいファインダー、そして圧倒的な完成度。追いつくどころか一気に異次元まで引き離された世界のカメラメーカーは、ライカの土台であるレンジファインダーカメラの開発を止め、今ではおなじみの一眼レフカメラの道へと進むことになります。
その後は知っての通り。1959年に登場した伝説の一眼レフカメラ「ニコンF」の世界的なヒットなどでカメラの主流はレンジファインダーから一眼レフへと代わり、今に至ります。
ライカM3によってレンジファインダーの頂点を極めたライカはというと、その頂に立ったが故に孤立し衰退。会社の形態なども変わり苦しい時期を過ごし立て直し、今に至ることになるのですが、こうして一眼レフが世の中の主流になったのは、全てのカメラメーカーがライカに敗北した裏返しの結果。
カメラというジャンルにおいては、今もなおライカはすべてのカメラの頂点に君臨する別格存在であるといっても過言ではないですし、カメラファンの間でもそう思っている人が大半だと思っています。
だからこそ今もなお多くの人がライカという存在に焦がれるんです。
さて、ライカがどんなカメラでどうしてやたらと高いカメラなのか、その一端がお分りいただけたんではないでしょうか。
さらに深く知りたい人は、私なんかよりも詳しい人はいくらでもいるので情報は出てきますし、書籍もめちゃめちゃあるので調べてみてください。
はっきりいって、今書いたことはペラッペラで、言うなればライカの世界の扉のドアノブに指先の爪がかすった程度。
その先にはとてつもなくディープな世界が広がっていて、簡単には抜けられない本当のカメラ沼を知ることになります。
ちなみに、レンジファインダーの帝王・ライカM3本体は、安いものであれば10万円程度で買えたりします。
帝王のくせに思った以上に安いと思った方へ、ライカM3は1954年に登場した65年も前のカメラです。それなのにまだ使えて写真が撮れるってとんでもないことだと思いませんか?
10万円程度の個体だと本来のライカM3のポテンシャルを体感するためにはオーバーホールが必要かもしれませんが、それでも一度触ると世界中のカメラメーカーが恐れ慄いたその一端でも確実に体感することができます。
ライカM3、ホントにすごいカメラですよ。
機会があれば買わずとも一度触ってみてください。